| ■フットサルからサッカーへ
・日本でのフットサルの歴史は一般に普及してからはまだ10数年と浅いです。
その為これまで ”ボールを蹴る” と言ったら、その手段は 「サッカー」 しかありませんでした。
一方ブラジルを中心とするいくつかの国では皆、幼少期に「フットサル」を経て「サッカー」の道を進みます。
この過程の ”違い” が、日本人の ”ボールを扱う” ということに対する
「柔軟さ」「応用力」の低さへと繋がったのは代表レベルの試合を見ても明らかです。
今、フットサルを知る多くの人が必ずしも技術的な面での理由だけでなく
”少年期のフットサル経験” の重要性を訴えています。
■子供の可能性
・現在、特に少年サッカーにおける指導者の多くはこの時期から 「チーム」 として
”結果を残すこと” に執着し過ぎて 「個人の能力」 を伸ばす努力を怠っている気がします。
幼少〜少年期=その未発達の時期に、その時点での特徴でポジションを固定し、
まだ開花していないだけの能力を眠らせたままにしてしまう多くのサッカー型の教育は、
この時期の 「育成手段」 として明らかにマイナスだと私は考えます。
何事も経験しなければ 知識も増えず、身体的、技術的な上達もありえません。
この時期にやらずしていつやれるでしょう。
指導者である大人の都合で区切りを設け、
「シュートを狙う子」 「ボールを奪う子」 「ゴールマウスを守る子」 と役割を押し付けて
少なからず子供から 「可能性」 を摘み取ってしまう指導にはなっていないでしょうか。
■成長するための機会
ここで子供がプレーする立場でフットサルをサッカーと比較してみます。
・プレー密度が高い
= ボールに触れる機会が多い ⇒ 考え/行動する機会が多い
・負荷が少ない
= ボディコンタクトが少ない
⇒ ケガがすくない
⇒ 成長(体格等)の個人差を関係なくできる
= 移動距離が少ない ⇒ どれだけ走るかより 「いつ」 「どのように」 動くかを求められる
= 交代自由 ⇒ 体力的に劣るから試合に出れない、スタメンになれないということがない
子供達にまず与えなければならないものは 『機会』 です。
それには 「身体が小さいから」 「体力がないから」 という理由で機会を奪われることなく
「ボールコントロール」 などの繊細さや 「判断力」など 内面的な才能を
皆同じ条件のもと発揮する場面を与えられなければなりません。
その意味でフットサルは最適と言えます。
■「やらせる」 のでなく 「考えさせる」
フットサルはその特徴上、ピッチに立った全員がその局面での攻撃も守備もやらなければなりません。
ゴレイロも含め皆ですべてのポジションをやってみれば
相手の立場を理解し、責任を押し付けることもなくなるでしょう。
”責任を他に求めない” ということは ”自分に出来たはずの何か” を考えるということです。
この 『協調性』 がさらにプレーの幅を広げる必要性を意識させ、
自ら学び成長することへの意義、目的を見出していくきっかけとなるはずです。
「○○役を果たせなければピッチに出れない、ピッチから出される」
成果主義、減点主義色の強いサッカーより、
「その場で求められる自分を見つけ行動する」
そしてそれを評価してあげられるフットサルの方がより技術、精神的に
この時期の経験、そして成長には適しているのではないか?
そう個人的には思います。
■機会を与える大人、選ぶ子供
どちらにせよ、子供も人間です。
自ら選ぶ自由をできるだけ与えてあげて下さい。
その判断がまだ自らできないのであれば
極力「型」にはめず、より自由な立場で多くを経験する機会だけを与え、
いずれ自分が意志を示せるそのときまで見守ってあげましょう。
何かを押し付ければ失敗したときの責任は押し付けた側に残ります。
自らすることを自らの責任を持って自分で決める。
「主体性」 と 「責任感」 はどの時期、いつになっても必要になることです。 |